前回、人間関係において、バウンダリー(境界線)を意識することの大切さについて書いてみました。⇒前回の記事はこちら

今日は、バウンダリー(境界線)は、人と人との「間」とも捉えられるのでは…ということを考えてみたいと思います。ここでは、心理学でいうところのパーソナルスペース(相手が自分に近づくことを許せる心理的な縄張りのこと)よりも、もう少し広くみていきます。

バウンダリー(境界線)を含む「間」という空間。

日本人は「和を尊ぶ」といわれます。その言葉の意味するところは、一側面として、バウンダリー(境界線)を曖昧にすることともとれるのではないでしょうか。

それは、人と人との間という空間を大事にすることに繋がります。

自分の領域であり、相手の領域でもあるところ。

相手の一部を自分のように、自分の一部を相手の一部のように感じるところ。

相手が動けば合わせてこちらも動く、こちらが動けば相手も合わせて動く、互いにバランスを取り合いながら。

やはり、間という空間は静的に固定されているというより、動き変化するように思います。…ふと、運動会の大玉リレーを思い出しました… 苦手やったなぁ笑

お互いに、やさしい間だといいですね。

うまくいくコツはきっと、相手がついてこれるように、「こっちに行くよ~」と合図を送ることかもしれません。声に出さずとも、気配で伝わるってありますよね。

そして、気配をキャッチする、それが察する、忖度するということなのかもしれません(「忖度」はすっかりネガティブワードのようですが、本来の意味は違います)。お互いに、不意をついたり、カモフラージュしたりせずに。

間という空間を通して、お互いが相手の気持ちを推し量り、感情やこころのやりとりをしていると思うと、人との距離がほんの少し柔らかなものに感じませんか。